実は去年から気になって気になって仕方がないことがあります。何とか安らかな日々を取り戻したいのですが、まだまだ時間がかかりそうなのですよ、これが。それというのも・・・。
私、車通勤なのですが、毎日五条通を通るのです。気になることというのが、その五条通の植樹帯なのです。
植樹帯、素晴らしいですよね!毎日の生活に潤いを与えてくれます。それなのに、それなのに何故、これほど植樹帯に悩み苦しまねばならぬのか!何もかも去年(?)か一昨年にうえられたオカメザサ(だと思う)のせいなのですよー!
雑草がはびこる植樹帯にメスが入り、オカメザサが植えられたのが少し前のこと。
(あー、これで見た目の悪い雑草ともおさらばだわー。良かった良かった)と安心したのも束の間。見る見るうちに再び雑草がはびこり、最早、どこに植樹したのかもわからないほど。
いや、本当言うと植えているところも見ていたのです。(植える間隔が広すぎやしないだろうか)、(ちょっとあの笹は葉先が枯れ過ぎているのではないか?)と内心、心配していたのですが、まさに的中してしまいました。
本来ならば密集して茎が増えるはずが全然増えないどころか、他の雑草のほうがどんどん増えて肝心の笹が増えるスペースがない。いや、それだけならさすがに私はそこまで気にはならない。しかし、私は見てしまいました。笹が植えられてしばらく経ったある夏の夜の事。若い男性がたった一人で雑草取りをしていたのを。
あれを見て泣かぬ人は最早、人間ではない!
私は一目見てピンときました!あの人はおそらく京都市の職員で、上司に逆らってもあの笹を植えることを押した人に違いないのです。
上司「君ぃ、笹なんて何を考えているんだ?植樹帯には従来通りツツジや西洋ツゲでいいだろう?」
若い職員「いえ、今こそ従来の考えを捨て、新しい京都を実現すべきです。和風の植物を植えることにより、忘れ去られていた和の心を京都市民に取り戻すのです!」
上司「ほざいたな、若造。ならばやってみるがいい。その代り、全責任はお前が持つのだ!」
あぁ、そんな会話がなされていたに相違ないのです。
それで雑草が増えるのを見るに堪えず、勤務時間外に夏の暑さにも耐えて、たった一人で草むしりをしていたに違いないのです。そしてそれは数日間続きました。
若い職員「じゃあ行ってくるよ」
その妻「待って!何故?何故そこまでするの?植樹帯なんて放っておけばいいのよ。どうせ年間の整備計画は決まっているのでしょう?そのうちに計画に従ってあそこもまた雑草取りが入るわ!」
若い職員「それまで持たないんだ。この夏の暑さで笹が弱っている。雨も降らない・・・その上、雑草に栄養を取られて・・・。京都市民のために僕はやらねばならない!」
その妻「あなたー!!」
きっとそんな事もあったに違いありません。そしてその数日後・・・。
他の職員「若いの、たった一人でこのクソ暑い中、何をやってるんだ?」
若い職員「ぼ、僕は・・・この笹を、大きく育てなければならない責任が・・・ハァハァ」
他の職員「ふっ・・・たまには頼るってことも知らなきゃいけないぜ。京都の緑は俺たちみんなで守るんだ」
若い職員「ああっ!そ、それは・・・!?」
そうです。ある日、そこにはほかの職員により水が撒かれました。灌水隊です。大量の水を湛えたタンク車から、植樹帯に恵みの雨がもたらされたのでした。私は年間通してこの熱い人間ドラマをずっと見ていたのです。
ブラボー!仲間って素晴らしいですね!これで笹が枯れることは阻止されました・・・阻止はされましたが、灌水により、また雑草にも水が・・・。
そんなわけで再び草ボーボーです。若い職員はもう見ません。責任を取らされて左遷でもされてしまったかもしれません。
そしてここ数日、業者による雑草取りがされています。一体今後、どうなることやら。この夏はどう乗り切るのか!?
もう植樹帯から目が離せないのであります。